『モナ・リザ』:レオナルド・ダ・ヴィンチが残した名画にまつわる謎と伝説

名作にまつわる謎
モナリザのモデルは誰?
ナポリ公妃コスタンツァ・ダヴァロス
マントヴァ侯妃イザベラ・デステ
モデルは女性ではないかも?
モデルは2人?
背景にある謎めいた橋
どの橋が正解なのか?
隠されたメッセージ
『モナ・リザ』はなぜ左右非対称?
完ぺきな微笑 
『モナ・リザ』に魅せられたダ・ヴェンチ 
何枚も存在する『モナ・リザ』
2枚制作されたモナリザ
『アイルワース のモナ・リザ』
『プラドのモナ・リザ』
『ヴァーナンのモナ・リザ』
裸体バージョン
未完成の理由
ダ・ヴィンチの自画像
モナ・リザ盗難に関わった2人の芸術家?
『モナ・リザ』を盗もうとしたキュピズムの巨匠たち
名作にまつわる謎

世界一有名な絵といえばレオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』。この名作にはさまざまな伝説や謎が存在し、真実と虚偽を見分けるのは至難の業だとされる。今回はその驚くべきストーリーを追ってみよう。

モナリザのモデルは誰?

ダ・ヴィンチ作『モナ・リザ』を巡る最大の論争の1つは、モデルになった女性についてである。ルーブル美術館が所蔵する『モナ・リザ』のモデルは、フィレンツェの商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻リザ・デル・ジョコンドだと考えられている。しかし、この公式見解については、近年さまざまな議論と憶測が飛び交っている。

 

ナポリ公妃コスタンツァ・ダヴァロス

過去数世紀にわたり、イタリアのアマルフィ公妃コスタンツァ・ダヴァロスを『モナ・リザ』のモデルとする説が信じられてきた。しかし、近年この説はアート業界で支持を失っており、多くのアート愛好家は『モナ・リザ』の本当のモデルは別のイタリア貴族の女性だとしている。

Image: By Pittore locale del periodo - Affresco nel convento di Sant'Antonio a Ischia, Public Domain, Wikicommons

 

 

マントヴァ侯妃イザベラ・デステ

リザ・デル・ジョコンドに代わる『モナ・リザ』の有力かつ唯一のモデル候補が、イタリア貴族のイザベラ・デステである。当時のイタリア・ルネサンス芸術のパトロンであったイザベラ・デステとダ・ヴィンチは親密な関係にあったとされ、2人の親しさを裏付ける書簡も残っている。しかし、もっとも重要な証拠になるのが、ダ・ヴィンチ筆によるイザベラ・デステのスケッチがモナ・リザと酷似していることだ。

Image: By Mitglied5 - Own work, CC BY-SA 3.0, Wikicommons

モデルは女性ではないかも?

アート愛好家の中には、『モナ・リザ』のモデルは女性ではないと主張する者もいる。イタリア文化遺産委員会のシルバノ・ビンチェティ委員長は、絵のモデルが男女2人の人物を融合したものだと発表。女性モデルはフィレンツェの織物商人の妻リザ・ゲラルディーニで、男性モデルは画家の20年来の愛弟子で、同性の恋人と噂されたジャン・ジャコモ・カプロッティ(通称サライ)だとしている。

 

 

モデルは2人?

ビンチェティ氏は『テレグラフ』のインタビューで「サライがモデルを務めた全てのダ・ヴィンチ作品を、『モナ・リザ』と比較したところ、あるディテールが完全に一致した」と語った。続けて「画家は2人のモデルを使い、想像力を駆使して架空の人物を完成させたのだ」と述べている。

 

背景にある謎めいた橋

『モナ・リザ』の最大の謎の1つは、彼女の左肩のすぐ上に描かれた橋である。特徴的な風景に見えるが、美術史家はこの橋の場所を突き止めることができていない。現在のところ、イタリアのトスカーナ州にあるブリアーノ橋が有力候補だが、異論も根強く出されている。

 

どの橋が正解なのか?

2011年、研究者のカーラ・グローリーは『モナ・リザ』に描かれた橋はブリアーノ橋ではなく、トレビア川に架かっていたボッビオ橋であるとした。しかし、件の橋は1472年の大洪水で流されてしまい、立証は困難になった。

 

隠されたメッセージ

『モナ・リザ』に関する謎はもうひとつあり、それを唱えたのはふたたびイタリア文化遺産委員会委員長シルバノ・ビンチェティである。2010年、ビンチェティ氏は『モナ・リザ』の目の中に隠された微細な文字を発見したと主張。右目にはダ・ヴィンチのイニシャルと思しき「LV」、左目には「CE」あるいは「B」と思しき記号が描かれているという。左目の文字が誰のイニシャルなのか、想像するだけで胸が高鳴るが、ルーブル美術館側はビンチェティ氏の発見を否定している。

 

 

『モナ・リザ』はなぜ左右非対称?

『モナ・リザ』の構成についても興味深い話がある。絵の右側が左側よりも高く見え、実際にその視覚効果は正しいと立証されている。そのため、右から左へ絵を眺めると、モデル女性の背筋が高く見えるのだ。歴史的にみても面白い発見だが、次のような疑問も出てくる。なぜ、ダ・ヴィンチのような完璧な技術にこだわる画家が、自身の名作に不完全さを取り入れたのだろう?

 

完ぺきな微笑 

『モナ・リザ』の妖艶な微笑の謎は、絵の左右非対称性とは異なり、説明ができるかもしれない。目に注意して絵画を鑑賞すると、その微笑が変化しているように見える。2000年、ハーヴァード大学の研究者たちは、『モナ・リザ』が浮かべる微笑と周辺視野の関連性を指摘。周辺視野で『モナ・リザ』の目を見つめると、色をほとんど認識できず、モデルの微笑がモノクロに見える。その視覚効果により、口角の影が大きく見え、その微笑が生き生きとするというのだ。

 

『モナ・リザ』に魅せられたダ・ヴェンチ 

ダ・ヴィンチはこの作品制作に4年もの歳月を費やし、完成後も継続して手を加えてきたそうだ。彼はどこへ行くにもこの絵を携帯し、画中にサインと日付を入れることはなかった。『モナ・リザ』は画家の晩年にフランスへ渡り、ダ・ヴィンチの死後は彼の作品を蒐集していたフランス国王フランソワ1世の手に渡った。

何枚も存在する『モナ・リザ』

『モナ・リザ』にまつわる最大級のミステリー。それは、ルーブル美術館所蔵の作品の真偽についてである。ダ・ヴィンチはオリジナルに加えて別バージョンを複数枚制作したと言われており、ルーブル美術館の「国家の間」に飾られた『モナ・リザ』が画家によるオリジナル作品ではない可能性も考えられるのだ。

 

2枚制作されたモナリザ

美術史家たちの間では、ダ・ヴィンチが2種類の『モナ・リザ』を制作したと伝えられてきた。16世紀の画家ジョバンニ・パオロ・ロマッツォは、すでに1584年の時点で、ダ・ヴィンチが描いた2枚を確認したと主張している。 

『アイルワース のモナ・リザ』

『モナ・リザ』の真作候補として挙げられるのが、『アイルワースのモナ・リザ』である。この絵はスイスの銀行の貸金庫に40年間にわたって保管され、2012年にスイス連邦工科大学が年代測定のために作品を調査、公開したことで、もう1枚の『モナ・リザ』の存在が明らかになった。この作品はダ・ヴィンチが活躍した時代に描かれたとされるが、オリジナルを証明する具体的な証拠はほとんどない。

『プラドのモナ・リザ』

スペインのプラド美術館には、『モナ・リザ』のコピー作品の1枚が飾られている。何十年もの間、この絵は重要性の低い模写作品だと考えられてきたが、2012年に修復が加えられた後、一部の美術史家はこの絵をダ・ヴィンチの筆によるものだと主張。しかし、プラド美術館のホームぺージには、ダ・ヴィンチの弟子の1人によるコピー作品であるとしている。

『ヴァーナンのモナ・リザ』

多くの美術史家は、『ヴァーナンのモナ・リザ』をダ・ヴィンチによる第2の真作候補とみなしてきた。ルーブル美術館所蔵の作品と同じ題材、様式で描かれており、かつては同美術館のコレクションの1枚だった。ただし、この絵とダ・ヴィンチの関係性については、明確に分かっていない。

 

裸体バージョン

ダ・ヴィンチは『モナ・リザ』を裸体で描いたのだろうか?というのも、『モナ・リザ』にはあまり適切な服装とはいえないヴァージョンが数多く存在するためだ。その中には、現時点でサライに帰属されている作品『モナ・ヴァンナ』や『裸体の貴婦人』も含まれているが、実際に誰がいつ頃制作したのかは不明である。

 

未完成の理由

かつて、『モナ・リザ』には眉毛がないため、絵は未完の作品であると伝えられることがあった。しかし、2007年、フランスの光学エンジニアであるパスカル・コッテ氏は『モナ・リザ』にはもともと眉毛があったが、月日の経過とともに徐々に消えていったと発表している。

 

ダ・ヴィンチの自画像

否定されているものの、『モナ・リザ』のモデルは実在の女性ではなく、ダ・ヴィンチの自画像であるという説も伝わっている。2005年に発見されたフィレンツェ市の役人アゴスティーノ・ヴェスプッチのメモには、ダ・ヴィンチがリザ・デル・ジョコンドの肖像画制作に取り組んでいる記述があり、ダ・ヴィンチ自画像説はほぼ否定される結果となった。

 

モナ・リザ盗難に関わった2人の芸術家?

ときどきインターネット上で話題になるのが、ビンセンツォ・ペルージャが起こした盗難事件に関するものだ。1911年、当時ルーブル美術館で仕事をしていたイタリア人塗装職人ペルージャは『モナ・リザ』を盗みだし、パブロ・ピカソやギヨーム・アポリネールが共犯としてあらぬ疑いを掛けられてしまう。

 

『モナ・リザ』を盗もうとしたキュピズムの巨匠たち

パブロ・ピカソとギヨーム・アポリネールは、『モナ・リザ』がルーブル美術館に所蔵されることを快く思っておらず、アポリネールに関しては過去に絵を盗んだ男を保護したこともあった。また、ルーブル美術館所蔵の2体の彫像作品はピカソのアパートから見つかっている。結局2人は『モナ・リザ』盗難事件の犯人という濡れ衣を晴らし、真の犯人は「イタリア人の作品はイタリアにあるべき」と主張したペルージャであった。こうして、ピカソ等の県議は晴れたが、20世紀最大の芸術家たちが『モナ・リザ』の盗難劇の犯人だとしたら、それは別の意味で興味深い話となるだろう。

 

 

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