注目の人、国民民主党の玉木雄一郎代表:そのキャリアと生い立ち
石破茂首相の衆議院解散にともない、2024年10月末に行われた総選挙では、自民党が第一党の座を守ったものの、議席数は大幅に後退。与党が過半数割れを起こすこととなった。
一方、野党第一党の立憲民主党は50議席を増やして躍進。しかし、政権交代一辺倒の姿勢は共感を呼ぶことができず、野党結集を主導できていない。そんな中、政局のキャスティングボードを握ったのは国民民主党だった。
玉木雄一郎代表(55)が率いる国民民主党は「年収103万円の壁」など、有権者にとって身近な政策を取り上げ、一躍注目されるようになったのだ。その一方で、早急な政権交代にはこだわらず、与党とも「政策ごとに協議」するという立場をとっている。
では、政界の中心に躍り出た玉木代表とは一体、どのような人物で、どのようなキャリアの持ち主なのだろうか?
玉木雄一郎代表は1969年に香川県で誕生した。本人のオフィシャルサイトには「田んぼの真ん中の家で生まれ育つ」とあり、現在でも「土の匂いのする政治家」というモットーを掲げている。
画像:Kyodo News Images
しかし、地元の高校卒業後は東京大学に進学。1993年に東京大学法学部を卒業して大蔵省(現:財務省)に入省し、ハーバード大学のケネディスクールに留学するなど、典型的なエリートコースを歩んだ。
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ちなみに、オフィシャルサイトによれば、ハーバード留学中に大学付属の教会で結婚式を挙げたそうだ。そのお相手について、『週刊文春』は財務省の元職員だと伝えているが、玉木代表は家族の詳細について公式には明かしていない。
その後、1997年に外務省に出向。中東アフリカ局中東第一課の職員としてヨルダンとリビアを担当し、中東各国をたびたび訪問したそうだ。
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さらに、金融庁や大阪国税局、内閣府など、さまざまな組織で活躍。しかし、当時はまだ、国政への進出を考えていなかったとのこと。
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転機は2005年に訪れた。小泉純一郎首相(当時)が郵政民営化の是非を問うとして行った解散総選挙の際に、自民党と民主党(当時)の両方から出馬を要請されたのだ。
玉木代表は民主党から出馬する決断を下すが、このときは小泉旋風に乗った自民党が大勝。玉木代表も落選の憂き目に遭うこととなった。
しかし、2009年の総選挙では民主党が15年ぶりの政権奪取を果たす。玉木代表もこれにともなって初当選することとなった。同氏のオフィシャルサイトによれば、国会では農林水産委員会に所属し、農業・食糧政策に取り組んだそうだ。
また、動物愛護活動にも熱心で、民主党政権下の2011年に発生した東日本大震災の際には、福島第一原発付近に取り残された動物たちの救助・保護に当たったとのこと。
その後、民主党は2012年の総選挙で再び下野。しかし、玉木代表は同僚たちが落選するなか、再選を果たした。さらに、2014年の総選挙でも3度目の当選を果たす。ところが、民主党の支持率は低迷を続け、2016年には維新の党との合流によって民進党へと改称した。
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このとき、玉木代表は子育て支援策を訴えて民進党の代表選挙に出馬。当選はならなかったが、同党の幹事長代理を務めることとなった。
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民進党はその後、さらに希望の党との合流を決定、国民民主党が誕生する。玉木代表は党を取り巻く状況が刻々と変化する中、2018年に国民民主党の代表に就任した。
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2020年には国民民主党が立憲民主党と合流。新たな立憲民主党として再出発する流れとなった。しかし、玉木代表は合流に反対する勢力を率いて、新・国民民主党を旗揚げする。現在の国民民主党はこのときに誕生したものだ。
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その後、任期満了にともなって2023年に行われた党の代表選挙では、前原誠司氏を破って再当選。ふたたび国民民主党の舵取りを担う立場となった。
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そして、2024年10月に行われた選挙では国民民主党を躍進に導き、政局を左右するキープレーヤーとして今後の動向に注目が集まっていた。ところが……
11月初めに、週刊誌『FLASH』が玉木代表と元グラビアアイドルの不倫を暴露。NHK放送によれば、玉木代表は事実を認めて謝罪、役職停止3ヵ月の処分を受けることとなってしまった。
政界のスポットライトを浴びた途端にケチがつく形となってしまった国民民主党の玉木代表。スキャンダルを振り払い、日本の政治を変えることができるのか、今後の動向に注目だ。
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