クリスマスの奇跡:第一次大戦中に起こった休戦の物語

くりかえされる歴史
ひとときの平和
世界大戦のさなか
暗殺が引き金となる
参戦が連鎖
犠牲になるのは兵士
戦争にプロパガンダはつきもの
泥と凍傷のホワイトクリスマス
クリスマスの奇跡
砲声の代わりに歌が響く
敵と対面
サッカーの試合も
遺体も回収
西部戦線の一部だけ
26日には戦闘が再開
束の間の平和
くりかえされる歴史

人類の歴史上、武力による闘争がなかった時代はほとんどない。現在もアフリカから中東、東ヨーロッパなどの地域で激しい戦闘行為が繰り広げられている。

ひとときの平和

だが、そんな戦闘の中でも最大級の規模のものの最中に、互いの陣営が武器を置いて同胞としてクリスマスを祝ったこともあった。

世界大戦のさなか

その出来事が起きたのは1914年、第一次世界大戦の西部戦線でのことだった。当時その地域ではイギリスやフランス、ドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国、ロシアなど数多くの国々から集まった兵士らが開戦以来数ヶ月間にわたって戦闘を行っていた。

暗殺が引き金となる

そもそも、この全ヨーロッパを巻き込んだ戦争を引き起こしたのは1発の銃弾だった。1914年6月28日、セルビア人の民族主義者ガヴリロ・プリンツィプがオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公を暗殺した。

参戦が連鎖

この「サラエボ事件」がきっかけとなり、オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに宣戦布告、そこから連鎖的に各国も参戦し全ヨーロッパを巻き込んだ世界大戦につながった。

犠牲になるのは兵士

だが、実際に戦場に送られた兵士たちにとっては複雑な国際政治や会議室で戦われる権力闘争などは縁遠いものだった。戦争は、ある者にとっては名をあげる絶好の機会であり、またある者にとっては国民の義務だった。だが、国家にとって兵士は常にただの消耗品にすぎない。

戦争にプロパガンダはつきもの

イギリスでは、戦場に送られる若い兵士たちに、クリスマスまでには戦争も終わって帰れるという文句がこぞって喧伝された。

泥と凍傷のホワイトクリスマス

だが、1914年のクリスマスは家族との団欒とは程遠いものとなった。暖かな自宅ではなくベルギーに掘られた塹壕の中で、泥と凍傷に苦しみながら迎えられたのだ。

クリスマスの奇跡

だが、そんな1914年12月24日、まさにクリスマスの奇跡ともいうべき事態が到来する。西部戦線で、上官の命令に逆らって、相争う両陣営が武器を置いたのだ。

画像:nypl / Unsplash

砲声の代わりに歌が響く

そして銃火と砲声の代わりにクリスマスキャロルが前線を覆い、寒々とした戦場で束の間ながら暖かな家庭が思い出された。

敵と対面

兵士たちは塹壕から歩み出て敵兵らと対面、敵もまた自分たちと同じ人間なのだということを実感した。

サッカーの試合も

敵兵たちとなごやかに会話し、物々交換や果てはプレゼント交換まで行われた。ドイツ兵とイギリス兵の間では、即席のコートをつくってサッカーの試合も行われたと伝わっている。

遺体も回収

突然の休戦という絶好の機会を得て、多くの同胞の遺体も回収された。

西部戦線の一部だけ

とはいえ、西部戦線のあらゆる戦場で休戦が行われたわけではないし、東部戦線ではそのような事態はまったく起こらなかった。

画像:austriannationallibrary / Unsplash

26日には戦闘が再開

西部戦線でも12月26日には戦闘が再開。双方の上層部は二度とこのような突然の休戦が起こらないようにする意思を固めていた。

画像:stijnswinnen / Unsplash

束の間の平和

それから何十年も経過した現在、このような休戦が実現したというのはほとんど神話的なことのように思える。それでも、ほんのひとときの間だけであれ、平和が実現したということは忘れずにいたい。

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