シリアのバッシャール・アル=アサド前大統領の妻、アスマ・アル=アサドとは
父子二代で独裁体制を維持していたシリアのアサド政権が崩壊し、バッシャール・アル=アサド前大統領は家族とともにロシアに亡命した。そのかたわらには、妻アスマ・アル=アサドの姿があったという。かつてドイツ銀行に勤め、やがてシリア大統領(当時)と結婚したアスマという女性は、いったいどういう人物なのだろうか。
アスマ・アル=アサドは旧姓をアスマ・アル=アフラスといい、1975年にイギリスのロンドンで生まれ、名門ロンドン大学キングス・カレッジでコンピューター科学とフランス文学を学んだ。2001年、シリア大統領に就任して間もないバッシャール・アル=アサドと結婚して現在に至る。
シリアのファーストレディとなる以前のアスマ・アル=アサドは、キャリア志向の女性としてドイツ銀行やJ.P.モルガンの投資部門で活躍していた。
アサド前大統領とアスマ夫人の間には、ハーフェズ、カリム、ゼインという二男一女がいる。イギリス生まれのアスマは結婚当初、各国のメディアからシリアの近代化や進歩的な考え方の象徴とみなされ、国の変革を推し進める存在として取り上げられていた。
しかし、2011年にシリア内戦が起こると、アスマの進歩的なイメージは崩れ去った。ファーストレディはこのときを境に強権的な政治の支持者とみなされるようになり、各メディアもアスマに対する態度を一変させたのだ。
アスマについて主な批判が集中したのはその贅沢な暮らしぶりである。シリアが独裁色を強めて国際社会で孤立を深め、夫であるアサド大統領(当時)が民間人に対する人権侵害や化学兵器の使用を批判されているにも関わらず、ファーストレディはその豪奢な生活を変えることはなかったという。
イメージが地に落ちたアスマについて、2012年8月発行のオンライン紙「ザ・テレグラフ」ではかつての呼び名「砂漠の薔薇」を「地獄のファーストレディ」に置き換えているほどだ。
とはいえ、アスマの私生活はすべてがバラ色だったわけではなく、2度にわたってがんの宣告を受けている。1度目は2018年の乳がんで、これは治療により完治したとされる。そして、2024年には急性骨髄性白血病と診断を受けたことが大統領府から明らかにされ、アスマは「強い意志と神のご加護」により闘病に取り組むという声明を発表した。
アスマにとり、アサド政権の終焉とは贅沢な生活の終わりであり、先行きの見えない亡命生活の始まりを意味する。
実際、モスクワで亡命生活を送るアサド前大統領夫妻について、アスマが離婚を求めているといううわさが広まっている。しかし、ロシア当局は23日に離婚申請のうわさを否定したとBBC等のメディアが伝えている。
同じくBBCの報によれば、イギリスのデイヴィッド・ミラー外相は今月に議会において、「アスマは制裁対象者でありイギリスでは歓迎されない」と述べ、アスマが英国への帰国を希望したとしてもそれを認めない考えを明らかにした。アサド前大統領夫妻の今後の動向に注意していきたい。