トランプ元大統領が「師」と仰いだ人物:ロイ・コーン弁護士とはいったい何者だったのか

トランプ元大統領が師と仰いだ人物
父の訴訟で頼ったのがきっかけ
キングメーカー
コネだけでなく、交渉術も伝授
「攻めろ、反撃しろ、決して謝るな」
「闇のフォレスト・ガンプ」?
ニューヨークのブロンクス出身
マッカーシーの右腕
ローゼンバーグ事件に関与
汚い手を使うことも辞さない
ラベンダー・スケアにも関与
司法省を離れる
ニューヨークのフィクサーに
夜の顔
ウォーホルらと親交を結ぶ
政治家や保守論客らとも交友
両陣営とコネを築く
晩年はエイズを発症
友人たちから見放される
1986年没
「俺のロイ・コーンはどこだ?」
トランプ元大統領が師と仰いだ人物

大統領選を間近に控え、よかれ悪かれ大きな注目を集めているトランプ元大統領。そんな元大統領のことを深く理解するためには、彼の師であるニューヨークの弁護士ロイ・コーン氏のことを知る必要があるだろう。今回はコーン弁護士の経歴を振り返ってみよう。

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父の訴訟で頼ったのがきっかけ

米放送局「NPR」によると、ロイ・コーン氏とトランプ元大統領の出会いは1973年、あるナイトクラブでのことだという。その数ヶ月後、元大統領の父フレッド・トランプ氏が自身の賃貸業における人種差別問題で訴えられたとき、息子であるドナルド・トランプ元大統領がコーン氏に助けを求めることになる。

 

キングメーカー

だが、コーン氏の役割は単なる法律アドバイザーには留まらなかった。ニューヨーク不動産業界の重鎮を現在の地位までのし上げさせたのは他ならぬコーン氏の功績だとみられているのだ。

コネだけでなく、交渉術も伝授

コーン氏はトランプ元大統領の後見人と言われることもあり、元大統領にさまざまなコネクションを提供した。さらには対人交渉の秘訣も伝授し、つねに取引において優位に立つことを教えた。

「攻めろ、反撃しろ、決して謝るな」

『ワシントン・ポスト』紙いわく、コーン氏は「トランプ元大統領に権力の使い方や他人に恐れを抱かせる方法を教えた」という。コーン氏の教えは単純だ:「攻めろ、反撃しろ、決して謝るな」

「闇のフォレスト・ガンプ」?

ではこのロイ・コーン氏とは何者なのだろうか? 「闇のフォレスト・ガンプ」とすら言われることもあるのはいったいなぜなのだろうか?

ニューヨークのブロンクス出身

ロイ・コーン氏は1927年、ニューヨークで生まれた。ブロンクスにある裕福なユダヤ人家庭の出身で、コロンビア大学法学部を20歳で卒業している。

マッカーシーの右腕

1950年代、アメリカでは共産党員などを公職から追放する「赤狩り」が吹き荒れていた。コーン氏は当時まだ20代前半だったが、その赤狩りを主導したマッカーシー議員の筆頭顧問として頭角を現していく。

ローゼンバーグ事件に関与

コーン氏はニューヨーク南部地区の検事補として多くの人物の追放に関与したが、とりわけ有名なのはローゼンバーグ夫妻だろう。夫妻は1953年にソ連のスパイとして処刑されている。

汚い手を使うことも辞さない

BBCも強調するように、コーン氏は夫妻の死刑を確定させるために時に違法な、裏ルートでの交渉も駆使したことを認めている。ともかく、この事件は当時世間の耳目を集め、それによってコーン氏の知名度も大きく上がることになった。

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ラベンダー・スケアにも関与

また、1950年代アメリカでは公職から多くの同性愛者を追放したいわゆる「ラベンダー・スケア」も起こったのだが、BBCによるとコーン氏も多くのゲイ男性の訴追に関与していたのだという。だが、実はそのコーン氏自身もまた同性愛者であった。

司法省を離れる

1954年にマッカーシー議員が失脚するとコーン氏は司法省を離れ、ニューヨークにある民間の弁護士事務所で働き始めた。

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ニューヨークのフィクサーに

60年代から70年代にかけて、コーン氏は弁護士としての名を挙げ、政治問題にも関わるフィクサーとなっていった。取り扱う事件の幅も広く、マフィアのボスやニューヨーク・ヤンキースのオーナー、さらにはニューヨーク大司教までクライアントとして抱えていた。

夜の顔

当時コーン氏は名高いニューヨークのナイトクラブ「スタジオ54」での遊びっぷりでも知られており、界隈ではコーン氏が同性愛者であることはもはや公然の秘密となっていたという。

ウォーホルらと親交を結ぶ

コーン氏は夜のニューヨークでは不動の存在となり、アンディ・ウォーホルやバーバラ・ウォルターズらと親交を結んだ。

政治家や保守論客らとも交友

また同時期にはレーガン夫妻など共和党の重鎮政治家や保守論客らともコネクションを築いている。

両陣営とコネを築く

人脈は共和党寄りだが、コーン氏は長年にわたる民主党員でもあり、元民主党議員で1978年から1989年までニューヨーク市長を務めたエド・コッチとも親密な関係にあった。

晩年はエイズを発症

晩年のコーン氏はHIV感染からエイズを発症し、合併症に苦しんだ。ただし、本人は自身がHIVに感染していることを頑として認めようとしなかった。

友人たちから見放される

当時はエイズに対する差別的な見方が根強く、コーン氏が感染しているという噂が広まると、有力な地位にある友人たちから見放されることになった。

1986年没

ドナルド・トランプ元大統領もそのようにしてコーン氏の元を離れたうちのひとりだと伝えられている。そうして、ロイ・コーン氏は1986年8月2日、孤独のうちに世を去った。

「俺のロイ・コーンはどこだ?」

だが、トランプ元大統領はそんな師のことを忘れてしまったわけではないようだ。2017年、いわゆる「ロシアゲート」疑惑で弾劾裁判の可能性に曝されたトランプ元大統領は、自身のリーガルチームに不満を持ち「俺のロイ・コーンはどこだ?」と叫んだという。

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