トランプ氏暗殺未遂後にコメントを発表したメラニア夫人:画像で振り返る前大統領夫人の半生

あまり姿を見せないメラニア夫人
夫の暗殺未遂を受けて声明を発表
モデルからファーストレディへ
ユーゴスラビア(現スロベニア)出身
つつましい生活
リュブリャナ大学入学をめぐる謎
モデルデビュー
将来性を確信した写真家
パワーには欠けていた?
スロベニアの「今年の顔」コンテスト
ヨーロッパ進出
パオロ・ザンポリ
トランプ前大統領と親しいザンポリ
トランプ前大統領との出会い
ニューヨーク・ファッション・ウィーク
結婚、そしてバロン・トランプ誕生
パワフルな女性となったメラニア夫人
外国生まれのファーストレディは2人目
ミステリアスな人物像
「Be Best」キャンペーン
ファッション界での活躍
トランプ前大統領の不倫騒動
雲隠れしたメラニア夫人
再び公の場に登場
メラニア夫人はプライバシーを望んでいるが……
あまり姿を見せないメラニア夫人

7月13日、ペンシルベニア州での選挙集会で演説を行っていたトランプ前大統領が銃撃され、耳に負傷した。この事件から、あまり公の場に姿を現すことのないメラニア夫人にあらためて注目が集まっている。

夫の暗殺未遂を受けて声明を発表

メラニア夫人はふだんから夫の選挙活動とは一定の距離を保っているが、トランプ前大統領の暗殺未遂を受けて声明を発表。「意見の相違や信条、政治的駆け引きは愛情に及ばない」とした上で、米国民に「憎しみを乗り越える」よう求めた。

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モデルからファーストレディへ

米国のファーストレディとしては並外れてミステリアスな雰囲気をまとうメラニア・トランプ。かつてはモデルとして活躍していたが、いまや夫ドナルドの巻き起こす騒動のおかげで思いがけない形で注目を浴びるようになってしまっている。そこで、メラニア夫人のこれまでを見てゆくことにしよう。

 

ユーゴスラビア(現スロベニア)出身

1970年4月26日にユーゴスラビア(現スロベニア)のノヴォ・メストで誕生したメラニア夫人。母のアマリア・ウルチニクは裁縫師、父のヴィクトル・クナヴスは運転手だった。2人は娘を2人もうけたが、メラニアは次女にあたる。ちなみに、メラニア夫人の旧姓「クナウス」は父方の姓をドイツ語風にしたものだ。

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つつましい生活

一家は職場の住宅あっせん制度を利用してセヴニツァ市に2ベッドルームのアパートを購入し、そこで暮らしていた。しかし、若いメラニアにとって片田舎での生活は窮屈なものであり、高校進学を機にスロベニアの首都リュブリャナに引っ越すこととなった。

リュブリャナ大学入学をめぐる謎

高校卒業後のメラニア夫人は建築学を学ぶため、リュブリャナ大学に入学したとされている。そのためには複数の入学試験を突破しなくてはならず、メラニア夫人が出願したことは記録に残されている。ただし、実際に合格したのかどうかは不明だという。

モデルデビュー

確かなのは、メラニア夫人がモデルとしてのチャンスに恵まれていたということだ。わずか17歳にして写真家たちの注目を集め、カメラの前でポーズを取るように依頼されたのだ。

 

将来性を確信した写真家

Univision放送によるインタビューを受けた写真家はメラニア夫人の整ったスタイルとスラリとした脚を一目見て、モデルとして将来性があると確信したと当時を振り返っている。

 

パワーには欠けていた?

ただし、この写真家はメラニア夫人について「パワーと魅力が欠けていた」とも評している。いずれにせよ、そのことが若きメラニア夫人の成功を妨げることはなかったようだ。

 

 

スロベニアの「今年の顔」コンテスト

ちなみに、メラニア夫人はわずか7歳のころから、母親の職場だった子供服メーカーでモデルを務めていたらしい。しかし、プロデビューを果たしたのは1992年で、このときスロベニアの「今年の顔」コンテストで2位に入賞したという。

 

ヨーロッパ進出

「今年の顔」コンテストでの成功を機に、欧州各国でも活躍しはじめたメラニア夫人。このころの逸話はあまり残されていないが、とあるドキュメンタリー番組に出演した元ボーイフレンドは当時のメラニア夫人について「何気ない瞬間でも、いつもオシャレでした(中略)まるで別の惑星からやって来たかのように美人でした」と回想している。

パオロ・ザンポリ

ここで、メラニア夫人の人生を一変させる人物が登場する。当時、ニューヨークでモデル事務所を経営していたパオロ・ザンポリ(写真)だ。この男は事務所の顔ぶれを強化するため、ヨーロッパ出身のモデルを探していたのだ。

トランプ前大統領と親しいザンポリ

メラニア夫人がドナルド・トランプ前大統領と出会ったのはザンポリのおかげだった。イタリア人実業家のザンポリはトランプ前大統領と非常に親しく、後にトランプ・オーガナイゼーションの国際開発部長に抜擢されているほどだ。

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トランプ前大統領との出会い

メラニア夫人は21歳のころ同じスロベニア出身の恋人がいたが、その後、ミラノとパリに拠点を移してモデル活動を行うようになる。そして、運命の相手ドナルド・トランプ前大統領と出会ったのは米国に進出してからのことだった。

 

ニューヨーク・ファッション・ウィーク

2人は1998年のニューヨーク・ファッション・ウィーク(NYFW)でめぐりあい、交際をスタートした。

 

結婚、そしてバロン・トランプ誕生

2人は2005年に結婚。翌年、メラニア夫人にとっては1人目、トランプ前大統領にとっては5人目の子供となるバロンが誕生した。

 

パワフルな女性となったメラニア夫人

トランプ前大統領の妻となったことで、メラニア夫人のファッション界における存在感はうなぎのぼりに。さらに、夫の大統領就任に伴って、世界中から注目されるパワフルな女性となった。

 

 

 

外国生まれのファーストレディは2人目

メラニア夫人は米国史上2人目となる外国出身のファーストレディだ。ちなみに、1人目は第6代大統領、ジョン・クィンシー・アダムズの妻で英国生まれのルイーザ・アダムズ。

ミステリアスな人物像

さて、米国の元ファーストレディとして知名度を上げたメラニア夫人だが、その人物像はいまだに謎に包まれている。メアリー・ジョーダン著の伝記『The Art of Her Deal: The Untold Story of Melania Trump』によれば、前妻の娘イヴァンカ・トランプはメラニア夫人のことを「肖像画」と揶揄していたそうだ。というのも、メラニア夫人は滅多に口を開かず、あまりにも控えめだったからだ。

「Be Best」キャンペーン

もちろん、ネットいじめを撲滅するための「Be Best」キャンペーンで旗振り役を務めるなど、ファーストレディとして存在感を発揮したこともある。とはいえ、ホワイトハウスで毎年恒例となっているクリスマス飾りのお披露目などを除けば、メラニア夫人は政治の表舞台で注目されるのを避けようとしてきたように見える。

 

ファッション界での活躍

実際、メラニア夫人の場合、元ファーストレディとしてよりもファッション界での活躍の方が目立っている。マリオ・テスティーノやヘルムート・ニュートンといった著名な写真家たちのミューズとして、『ヴォーグ』『ハーパーズ バザー』『ヴァニティ・フェア』『GQ』といった数々のファッション誌の表紙を飾ったのだ。しかし、こういった華やかな活動はすべて、トランプ前大統領と結婚する前の出来事だ。

 

 

トランプ前大統領の不倫騒動

一方、ホワイトハウスへの返り咲きを図るトランプ前大統領はアダルト女優ストーミー・ダニエルズ(写真左)に対する「口止め料裁判」で有罪判決を受けるなど、あちこちで批判の矢面に立たされており、メラニア夫人との夫婦仲についてもゴシップが絶えない。

 

 

雲隠れしたメラニア夫人

確かに、今回の選挙戦では前回と異なり、メラニア夫人は最近まで雲隠れしていたのだ。

再び公の場に登場

メラニア夫人がトランプ前大統領とともに再び人前に登場したのは、3月末に行われたフロリダ州予備選挙のときだった。さらに、4月初めにはフロリダ州パームビーチで行われた資金集めパーティでも姿を見せている。

 

メラニア夫人はプライバシーを望んでいるが……

メラニア夫人が雲隠れしていたころ、ある事情通が『ピープル』誌に語ったところによれば、「メラニア夫人は公には夫を支持していますが、個人的にはメディアの注目を避け、きちんとプライバシーが守られた暮らしを送りたいと望んでいます」とのこと。しかし、夫の選挙活動や有罪判決に米国中の関心が集まる今、それは無理な注文というものかもしれない。

 

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