ロシアと西側の間で絶妙なバランスを保つ小国フィンランド

ロシアが狙うのはウクライナにとどまらない
東西間の中立性
NATOへの接近
二つの国の物語
フィンランド大公国
ロシア帝国の崩壊
1917年:フィンランド独立
1917年~1918年:フィンランド戦争
1939〜1940年:冬戦争
1941年と1944年:第二次世界大戦の戦い
大祖国戦争
独立国家であるための代償
1948年:フィンランド・ソ連友好協力相互援助条約
東西陣営の間で
あの手この手の努力
1960年代:EFTAおよびEEC
1980年代:EFTAに加盟
1992年:欧州経済領域
4つの自由
1992年:新しい時代、新しい合意
1992年:欧州経済共同体
軍事的非同盟
EECの懸念
絶妙なバランスを見出す
1995年:フィンランドのEU加盟
守りの姿勢
1999年:EU軍の編成案
条件付きの参加
EUの対ロシア共通戦略
2003年12月:安全保障政策の変更
柔軟な「非同盟」
EU防衛:防衛白書とNATO
2004年から現在まで
サンナ・マリン首相の挑戦
中立から非同盟、そしてNATO加盟へと
ロシアが狙うのはウクライナにとどまらない

「フィンランドのNATO加盟は、軍事的にも政治的にも深刻な影響を与えるだろう」と、ロシア連邦外務省のマリア・ザハロワ情報局長は今年2月下旬に釘を刺した。

東西間の中立性

ザハロワ情報局長は、軍事的な非同盟を維持することの重要性を強調した。「北欧と欧州全体の安定および安全に寄与する重要な要素だ」と主張し、フィンランドは何世紀にもわたりロシアが重視してきた地域であることを指摘。

NATOへの接近

ロシアのウクライナ侵攻開始後、フィンランドのサンナ・マリン首相は、北大西洋条約機構(NATO)に対する自国の中立性が「変わりつつある」と表明。これはロシア政府にとって好ましいことではない。

二つの国の物語

こうした発言の背景には何があるのだろうか。なぜロシアはこの北欧の小国の運命についてこれほどまでに声を大にするのだろう。

フィンランド大公国

1100年から1809年まで、現在のフィンランドを構成する土地はスウェーデン王国に属しており、ナポレオン戦争後の1809年、スウェーデンからロシアに譲渡されフィンランド大公国となった(ただしロシア皇帝がフィンランド大公を兼任)

写真:ヘルシンキのルーテル大聖堂。正面にロシア皇帝アレクサンドル2世の銅像。

ロシア帝国の崩壊

1917年のロシア革命を受け、フィンランドはほかの帝国領と同じく独立を果たした。

1917年:フィンランド独立

フィンランドはついに1917年に独立を果たした。しかし、この2つの国の物語はそれだけでは終わらなかった。

写真:ヘルシンキの元老院広場で行われたフィンランドの独立宣言。

1917年~1918年:フィンランド戦争

1917年にロシアから分離独立したフィンランドだが、政府と帝政ドイツが支援する右派白衛軍と、ソ連共産党の前身であるボルシェビキが支援する左派赤衛軍が争いを始め、悲惨な内戦状態に陥ってしまった。1918年5月、白衛軍の勝利でフィンランド戦争は終結した。

1939〜1940年:冬戦争

ソ連との関係はそこでも終わらなかった。第二次世界大戦勃発後から間もない1939年、ソビエト連邦がフィンランドに攻撃をしかけ、「冬戦争」と呼ばれる熾烈な戦いが始まった。フィンランドはソ連による侵攻を辛くも退けたが、領土の一部を割譲しなければならなかった。

1941年と1944年:第二次世界大戦の戦い

数年後には第二次世界大戦が勃発。フィンランドはナチスドイツとともに1941年にソビエト連邦を攻撃し、冬戦争で失った領土を取り戻したのである。

写真:アドルフ・ヒトラーと第二次世界大戦中のフィンランド軍司令官カール・グスタフ・エミル・マンネルハイム。

大祖国戦争

ソ連はスターリンの指揮の下で反撃に成功し、フィンランドに条約を締結するよう迫った。

独立国家であるための代償

第二次世界大戦後、ソ連の強い影響下にある東側諸国から外れるためにフィンランドが支払うことになった代償は、領土の一部をロシアに譲り、中立・独立国家であり続けると約束することだった。

1948年:フィンランド・ソ連友好協力相互援助条約

フィンランドとソ連は1948年に「フィンランド・ソ連友好協力相互援助条約」を締結。これはフィンランドがソ連に対して中立を保つかぎり、自由民主主義国家であることを保証するものであった。また、主な条項として、一方に敵対的な軍事連合については、他方も参加できないとされていた。

東西陣営の間で

冷戦時代、フィンランドはソ連と西欧列強のどちらとも微妙な距離を保つことにより祖国存続を図った。西ヨーロッパ諸国との関係についてもきわめて慎重な態度を崩さなかった。

あの手この手の努力

フィンランドは冷戦における両陣営と対等な関係を維持すべく、東欧諸国と西側諸国と並行して経済協定を結ぶなどさまざまな努力を続けた。これにより、経済分野における独自の中立的な立場を確立してきたのだ。

1960年代:EFTAおよびEEC

1960年代には欧州経済共同体(EEC)に非加盟の国が集まり、イギリス主導の欧州自由貿易連合(EFTA)が設立された。ソ連の反対により、フィンランドはEFTAにもECCにも加盟は叶わなかった。

1980年代:EFTAに加盟

しかし、1986年、フィンランドは西側諸国に門戸を開き、中立的な立場でEFTAへの加盟を果たした。

写真:1986年、フィンランドのマウノ・コイヴィスト大統領夫妻

1992年:欧州経済領域

1992年、フィンランドを含むEFTA加盟6カ国は、当時のEEC(現欧州連合)と欧州経済領域(EEA)を設立する協定に調印した。

4つの自由

欧州経済領域(EEA)は欧州単一市場の「4つの自由」、つまり商品、人、サービス、資本の移動の自由を掲げていた。ただし、フィンランドは政治的中立を維持していた。

1992年:新しい時代、新しい合意

1989年、ベルリンの壁が崩壊し、その2年後にソビエト連邦が崩壊した。フィンランドは1948年に締結されたフィンランド・ソ連友好協力相互援助条約をロシア政府の合意の下で破棄、代わって1992年にフィンランド・ロシア友好条約を締結した。

1992年:欧州経済共同体

隣国スウェーデンやフィンランドといった中立国であるEFTA諸国の例にならい、フィンランドは1992年に欧州経済共同体への加盟を希望した。

軍事的非同盟

この時、フィンランドは従来の「中立政策」を「軍事的非同盟」の意味に再定義した。非同盟国であるフィンランドは、他国との軍事協力は可能だが、相互防衛からは外れる立場をとっている。

EECの懸念

EEC(現欧州連合)は、欧州の外交政策である共通外交・安全保障政策(CFSP)を中立国が弱めてしまうことを懸念し、フィンランドの参加要請の検討には長い期間を要した。

絶妙なバランスを見出す

フィンランドはEEC(現欧州連合)に対し、共通外交・安全保障政策(CFSP)を実施する意思を表明するとともに、軍事的非同盟を維持しながらこれらの政策に従うことが可能であるとした。

1995年:フィンランドのEU加盟

1995年、オーストリア、スウェーデンと共に欧州連合(EU)に加盟。欧州連合の共通安全保障政策の基礎となるアムステルダム条約に、軍縮と平和維持などの任務を定義したペータースベルク・タスクを盛り込むことを提案する。

守りの姿勢

この構想は、多くのEU加盟国が提案する一方で非同盟国が避けようとしてきた西ヨーロッパ連合(WEU)と欧州連合(EU)の合併の可能性を回避する手段でもあった。

1999年:EU軍の編成案

1999年にはフィンランドが初めて欧州連合理事会を主宰し、「ヘルシンキ・ヘッドライン・ゴール」と呼ばれる単一のEU部隊を結成するプロジェクトについて議論が行われた。

条件付きの参加

フィンランドは2千人の兵力を拠出を決定。ただし、対応範囲は危機管理に限られること、軍事力よりも文民力が優先されることといった条件が付されていた。

写真:2001年、レバノンの平和維持活動に参加したフィンランド兵

EUの対ロシア共通戦略

フィンランドにとり、ロシアと欧州連合(EU)の関係は国の基本事項となっている。そのため、欧州連合(EU)の対ロシア共通戦略の策定において積極的な役割を果たした。北欧におけるNATOの役割を支持する一方、同盟枠をバルト諸国まで拡大することには同意していない。

2003年12月:安全保障政策の変更

フィンランドは、オーストリア、アイルランド、スウェーデンと共に、EUの安全保障政策の変更を提案したが、議長国によって拒否された。しかし、安全保障に関して異なる政治的立場を考慮することが約束され、フィンランドはEUの中で中立を保つことができるようになった。

柔軟な「非同盟」

フィンランドの非同盟は柔軟性に富んでおり、欧州の政策に支障をきたすことはなかった。

写真:フィンランドのタルヤ・ハロネン大統領とコフィ・アナン国連事務総長

EU防衛:防衛白書とNATO

専門家たちは、2003年には状況が変わると予測していた。しかし「欧州防衛機構」が設立された。防衛白書では、EU共通政策の必要性が強調され、NATO加盟の可能性が示唆されたものの、フィンランドの中立的立場は維持されている。

写真:NATOのアンデルス・フォグ・ラズムセン事務総長とフィンランドのタルヤ・ハロネン大統領

2004年から現在まで

ロシアのウクライナ侵攻後、全世界を取り巻く地政学的な状況は、今のこの瞬間にも変化を続けている。フィンランドがNATOの一員となる可能性は、数十年前よりも現在の方が高まっているように思われる。

写真:NATOのイェンス・ストルテンベルグ事務総長とフィンランドのサウリ・ニーニスト大統領

サンナ・マリン首相の挑戦

ロシアの侵攻から間もなく、フィンランドのサンナ・マリン首相は「ロシアがウクライナでとった軍事行動を強く非難する」、「この攻撃は重大な国際法違反であり、多数の民間人の生命を脅かす」とツイートした。

中立から非同盟、そしてNATO加盟へと

フィンランドは、自国の主権と領土保全を守るために有用な政策として、国際的な中立性を保つことにつねに努力をしてきた。ウクライナを支援することは、NATOとのより緊密な関係の確立につながるのだろうか。

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