プラダのブーツで戦場に?:プーチン大統領の盟友、チェチェン共和国首長ラムザン・カディロフ
はじめは首相、その後は「共和国首長」として2006年からチェチェン共和国に君臨するラムザン・カディロフ。ロシアのウクライナ侵攻では、プーチン露大統領に忠実な独裁者として私兵団を派遣した。このとき、戦闘員たちとともにまるで自分自身も戦場に向かうかのような写真を投稿したのだが、靴のチョイスが議論の的になってしまったようだ。
SNSで足元がクローズアップされてしまったチェチェンの首長、カディロフ。トルコのジャーナリスト、ラグップ・ソイル(画像のツイート)をはじめ、多くの報道関係者がカディロフの贅沢な靴を取り上げたが、無理もない:プラダのブーツは1400ドル近くするのだ。
カディロフは「ファッション・マニア」なのだろうか?実際のところは、共和国首長の地位にありながら、SNSでインフルエンサーの真似事をするのが好みのようだ。「テレグラム」のチャンネルを通して大衆の気を惹くようなオーディオメッセージやスローガンを公開しているばかりか、イーロン・マスクをはじめとする大物相手にも躊躇なく舌戦を仕掛けている。
ウクライナ侵攻の深刻さに相応しからぬ幼稚なツイートでプーチン露大統領に挑戦したイーロン・マスク。いわく「ウクライナを賭けて、ウラジーミル・プーチンに一騎打ちを挑もうじゃないか」
これに対し、カディロフ(写真:マイク・タイソンとともに)はテレグラムのチャンネルでイーロン・マスクのことを「ひ弱で女々しいイーロナ」と呼び「プーチンと張り合うのはオススメしない」とコメントした。
こういった軽薄さとは裏腹に、カディロフは様々な人権侵害で告発される過酷な支配者でもある。はじめはチェチェンのゲリラ指導者だったが、長い戦いで地域を荒廃させた末ロシア側に寝返り、今ではモスクワの指導の下、統治を行っている。
チェチェンの顔として権力を振るうカディロフ。その手先となっているのが3,000人からなる彼の私兵団「カディロフツィ」だ。彼らはウクライナにも派遣されている。
カディロフ(1976年生まれ)の生い立ちは戦争に彩られている。父はチェチェン共和国大統領を務めていたが、若くして暗殺されてしまった。いずれにせよ、ヨーロッパ流の民主主義とはかけ離れた現実の中で成長したといえる。
プーチン露大統領をひたむきに崇拝するカディロフ。『ポリティコ』紙で公開されたオーディオメッセージでは「私はあなたの手兵です。あなたのために命を捧げます」とまで述べている。
無論、プーチン大統領もカディロフを支持している。暴力の応酬が続いていたチェチェンの鎮静化という、プーチン政権が成し遂げた成功を象徴する人物だからだ。
しかし、カディロフは何度も暗殺の危機に直面している。様々な報道機関によれば、暗殺未遂は10回におよぶという。しかし、重症を負う事はあっても、そのたびに生還を果たしてきた。
ロシア連邦内のイスラム地域、チェチェンは2つの血なまぐさい戦争の舞台となった歴史を持っている。1994年から1996年にかけて勃発した第一次チェチェン紛争では撤退を余儀なくされたロシアだったが、1999年に始まった第二次チェチェン紛争では、モスクワなど諸都市で発生したイスラム過激派のテロに対抗すべくチェチェンを徹底攻撃。 2009年に軍事作戦は正式に終了し、カディロフ政権が誕生した。
チェチェンは不安定であり、いつ暴力の応酬が再開されるかわからない状況であるとはいえ、今のところカディロフは抑えつけに成功している。
いずれにせよ、今日のチェチェンは比較的平和だ。戦争の傷跡がまだ生々しく残っているとはいえ、インフラの復興が行われ、各地で街の再建が図られているのだ。カディロフがチェチェンの人々から感謝されているとすれば、チェチェン紛争を終結させたためであろう。
チェチェン共和国指導者となったとき、まだ若かったカディロフ。スポーツが政治権力と密接に絡み合う旧ソビエト圏らしく、彼も共和国内有数のサッカーチーム、FCアフマト・グロズニーの会長を務めている。
ウクライナ侵攻で一蓮托生となったプーチン露大統領とチェチェン共和国首長のカディロフ。『ポリティコ』紙の見立てでは、この一ヶ月ロシア軍が苦戦していることに苛立っているとされるが、さらなる圧力や容赦ない攻撃を主張している。力でねじ伏せるのがカディロフのやり方なのだ。