プーチン政権下、スターリン時代を支持するロシアの人々
ウクライナ侵攻の終わりが見えない中、ロシアは2023年2月2日にスターリングラード攻防戦終結80周年の節目を迎えた。この街は現在ヴォルゴグラードと改名されているが、この日だけは標識や公式文書の中で旧名が復活した。
しかし、スペイン紙『エル・パイス』によれば、スターリンを高く評価するプーチン大統領が、今のところ記念日限定で用いられているスターリングラードという市名を完全に復活させようとしているのではないかと危惧する人も多いという。
とはいえ、プーチン大統領自身は市名変更について住民投票で賛成が得られない限り行わないと何度か公言している。そして、これまでの世論調査によれば、住民たちの間でスターリングラードという旧名はあまり支持を得られていないようだ。
1925年まで「ツァリーツィン」と呼ばれていたスターリングラードは、1942年から1943年にかけての5ヵ月間で120万人あまりの犠牲者を出す激戦の舞台となった。これは人類史上最悪といってよい規模だ。
写真:ヴォルゴグラードの母なる祖国像
スターリングラードを包囲した枢軸軍は激しい爆撃を加え、街は99%が破壊されてしまった。しかし、ソ連軍が辛くも持ちこたえて勝利したため、第二次世界大戦は転換点を迎えることとなった。
スターリングラードがヴォルゴグラードに改名されたのは60年代初頭。ニキータ・フルシチョフ政権下で推し進められた非スターリン化の一環だった。しかし、ロシアでは旧名とそれにまつわる歴史を懐かしむ人も多い。
ピュー研究所が2017年に公開した世論調査結果によれば、ソ連崩壊を悲劇だと捉えるロシア人は59%に上ったという。
同調査ではまた、スターリン主義を非常に肯定的、またはおおよそ肯定的に捉えるロシア人は58%に上ると判明。一方、その他の旧ソ連諸国ではスターリン主義を支持する人の割合がはるかに低くなっている。
ロシアにおけるこのスターリン人気は、同調査で22%しか支持を得られなかったミハイル・ゴルバチョフとはかなり対照的だ。
ソ連崩壊後の1990年代にロシアが経済的・社会的に低迷したことを考えれば、モスクワ主導のソ連が超大国だった時代をロシアの人々が懐かしむのは無理もないだろう。
NBCニュースによれば、プーチン大統領自身はソ連崩壊について「20世紀最大の地政学的誤り」と評しているという。
2005年の演説でプーチン大統領は、「何千万人ものロシア人たちがロシア領の外に取り残されてしまった」と発言。
また、ハリウッドのオリバー・ストーン監督が行ったインタビューの中で、プーチン大統領はスターリンについて「時代の産物」であり、現代西欧的な視点から糾弾され過ぎていると擁護した。
1952年生まれのプーチン大統領が誕生したのは、スターリンがこの世を去るわずか数ヵ月前だった。しかし、スターリンの影響力は国内外で色濃く残っていた。
派閥争いや不安定な政局の中、集団意思決定によって運営されていた初期のソ連だったが、1930年代にヨシフ・スターリンが権力を掌握、唯一の指導者という地位を確立した。
しかし、トロツキーをはじめとする政敵を退けて地位を維持するため、スターリンは見せしめ裁判やシベリア送りといった強硬な手段に出ることとなった。
一方で、スターリンは大規模な近代化・産業化を推し進め、ソビエト連邦をわずか数十年で貧しい農業国から超大国に一変させてしまった。
しかし、スターリンの権威主義的支配は人々に困難をももたらすこととなった。なかでも、1930年代にウクライナで発生した人為的な大飢饉「ホロドモール」では何百万人もの人々が犠牲となっている。
第二次世界大戦中、スターリン率いるソ連は英米と結んでナチス・ドイツと戦った。この戦いは、ロシア国内では大祖国戦争と称されている。
第二次世界大戦でもっとも多くの犠牲者を出したのはソ連だった。スターリングラード攻防戦が今でも語られ続けているのは、多大な犠牲を払って手にした勝利だったからに他ならない。
第二次世界大戦の記憶を利用して立場を維持したいプーチン政権は、ウクライナ侵攻をナチズムとの闘いと呼んで正当化を図っている。はたして、プーチン大統領は21世紀のスターリンになってしまうのだろうか?