ロシアのセルゲイ・ショイグ国防相はどんな人?
プーチン露大統領の右腕としてロシア軍を束ねるセルゲイ・ショイグ国防相。長きにわたってプーチン大統領の補佐を務めているだけあって、偉大なロシアを取り戻すという信念を共有している。
さて、ショイグ国防相は一体どんな人物なのだろう?また、プーチン大統領の後継者としてはどのくらい有力なのだろうか?
1955年5月21日、モンゴルと国境を接するトゥヴァ自治共和国のチャダーナ市で、地元紙の編集者である父クジュゲト・ショイグと母アレクサンドラ・クドリャフツェワの間に誕生したセルゲイ・クジュゲトヴィチ・ショイグ。チャダーナ市は首都モスクワから4,700キロメートルあまり離れた僻地だ。
若きショイグ国防相はトゥヴァ語の新聞社で編集者として働く傍ら、地元共産党員としても昇進。ついに、地域委員会書記の座を手にした。
ショイグ国防相の氏名には秘密がある。実は「ショイグ」というのは父の下の名前であり、「クジュゲト」の方が姓だったのだ。ところが、地元の旅券事務所が両者を取り違えて記載、家族は修正するほどのことではないとそのままにしたとのこと。
地元共産党に大きな影響力を持つ一家に生まれ、無神論を標榜したソビエト連邦全盛期に子供時代を過ごしたショイグ国防相だが、ロシア正教会の洗礼を受けた正教徒だ。
実際、ショイグ国防相は信心深いらしく、公の場で十字を切る姿が何度も目撃されている。
一方、ショイグ国防相の母方の故郷はウクライナだ。
1997年、将来のロシア国防相はクラスノヤルスク工業大学で建築学の学位を取得した。
その後、10年以上にわたって土木建築分野の管理職として働いていたショイグ国防相だが、1988年に政界入りすることとなった。
1990年にモスクワに移ると、ロシア連邦国家建築・建設委員会副議長に就任。1991年にはロシア連邦国家民間防衛問題・非常事態・自然災害復旧委員会議長となった。
続いて、1994年から2012年までは前出の委員会の後継組織、ロシア民間防衛問題・非常事態・自然災害復旧省で大臣を務めることとなった。
専門家によれば、1990年代以来ずっとロシアの政権中枢に留まっているのはプーチン大統領とショイグ国防相の2人だけだという。
以前からプーチン大統領に忠実なショイグ国防相。一部の専門家たちは、休暇をシベリアでともに過ごしたり一緒に森を散歩したりするショイグ国防相こそ、プーチン大統領にとって最も親しい友人だという見方を示しているほどだ。
2012年5月から11月にかけてはモスクワ州知事を務めていたが、11月6日の大統領令をもってアナトーリー・セルジュコフ前国防相の後任としてロシア連邦国防相に抜擢されることとなった。
これは当時、首相を務めていたドミートリ―・メドヴェージェフの推薦によるものだ、とナタリヤ・ティマコワ首相報道官が述べている。
2018年と2020年には国防相に再任。さらに、2021年にはプーチン大統領の提案により政権与党「統一ロシア」の候補者リストに名を連ねることとなった。
「道徳の心」は兵役によって育まれると主張するショイグ国防相。ところが、ロシア陸軍大将の階級まで与えられているにもかかわらず、ショイグ国防相に軍務経験はない。では、一体どのようにして国防相になったのだろう?
ショイグ国防相は大学卒業によって中尉の階級を与えられたため、過酷な兵役を免れることができたのだ。
国防相に就任してからは、クリミア併合からシリア内戦までプーチン政権の軍事作戦を指揮。ただし、プーチン大統領自身が采配を振るう場面も多く、ショイグ国防相の存在感はかすみがちだ。
長年にわたるキャリアを通じて、様々な褒章を与えられているショイグ国防相。ロシア連邦英雄や聖アンドレイ勲章、祖国功労勲章、「クリミア回復」勲章など枚挙に暇がない。
ロシア政治を専門とするアナリストたちの中には、いずれショイグ国防相がプーチン大統領にとって代わる可能性があると考える者もいるようだ。
確かにショイグ国防相は以前から国民の期待を集めているが、プーチン大統領が辞任する気配は今のところない。
また、仮にショイグ国防相が権力を握ったとしてもロシアの外交政策に大きな変化があるとは考えにくい、というのがウクライナを含む各国の人々の主な見解だ。
ウェブサイト「Interfax.ru」によれば、セルゲイ・ショイグ国防相は、その他10人のロシア軍の将軍たちと共に、国家安全保障に対する罪でウクライナ検察から2016年に指名手配を受けたという。
また、2014年にはウクライナによる制裁リストに加えられたが、2022年2月にロシアがドネツク人民共和国・ルハンスク人民共和の独立を承認したことで、西側諸国からもさらなる制裁措置を科されることとなった。
2021年、ウクライナの治安当局はロシアのショイグ国防相に対し、ウクライナ国内で「違法な武装集団」の創設に関与したとして出頭を命じた。もちろん、ショイグ国防相はこの要請を無視している。
私生活では狩猟を楽しむことで知られるショイグ国防相。プーチン大統領と一緒に休暇を過ごしたことも少なからずある。
さらに、樹木の根を利用した彫刻も嗜んでいるとのこと。しかし、トゥヴァ共和国の首都クズルにあるアルダン・マーディル国立美術館に彼の作品が展示されていることを知る人は少ない。
RIAノーボスチ通信によれば、同美術館には前述の彫刻作品に加え、ショイグ国防相の「油絵とグラフィクス」も展示されているという。
プーチン大統領同様、ショイグ国防相もホッケーとサッカーの大ファンだ。また、政治家やベテラン選手を交えたアマチュア大会に参加したこともあるという。贔屓のクラブはFCスパルタク・モスクワ。
家庭生活の面ではイリーナ・ショイグと結婚し、ユリアとクセニア(写真)という2人の娘をもうけている。2021年9月17日には次女がミラーナという娘を生んだため、ようやく祖父になった。
ショイグ父娘は私生活の詳細を明かすことを好まないが、どうやら娘たちも政治家への道を歩んでいるようだ。心理学を学んだ長女のユリアは、ロシア非常事態省の心理支援センター長として働いているほか、次女のクセニアはプーチン政権下でスポーツ担当の公務員をしているという。