中世修道士の意外に豊かなライフスタイルとは?現代社会の生き方へのヒントも
中世の修道士というと、人生の大半を暗い部屋で祈りを捧げたり、写本をしたりして過ごす禁欲的な生活をイメージするかもしれない。しかし実際のライフスタイルは、一般的にイメージされるよりもはるかに多様性に富んだものだったようだ。
シトー修道会南フロリダ支部のホームページによれば、修道士の生活といえは質素なイメージをもたれることが多いが、実は豊かな生活を送っている人々もいたという。
写真:Wiki Commons By Johann Petr Molitor, Public Domain
メトロポリタン美術館の説明によれば、修道会は「精神的な解脱と理想」という宗教観を社会に提示し、中世文化の発展に大きく貢献したという。
写真:Wiki Commons By Edward Lear, Public Domain
修道会が運営する修道院は、中世社会において読み書きなど学問を修める教育の場として機能していた。また、フランスの劇作家ラシーヌをはじめ、古典主義の時代には、修道院出身の作家も多い。修道士たちが文芸作品などの執筆に励んでいるイメージは、このような歴史的背景から作られたのだろう。
写真:Wiki Commons By Jean Le Tavernier, Public Domain
修道士と修道女はさまざまな慈善事業に従事し、中世社会で重要な役割を果たした。修道院は旅行者に宿を提供し、困窮する人々を助けていた。病人を世話する看護士のような役割を担っていた修道女も多くいたという。
写真:Wiki Commons By Moniquebrianna, Own Work, CC BY-SA 4.0
シトー修道会南フロリダ支部が当時の生活について調査したところによると、修道士になるのは比較的簡単だったようだ。入会に年齢制限はなく、修道会から脱退することもできたという。
写真:Wiki Commons By Desconhecido, Libro de Los Juegos, 1283, Public Domain
人々は実に多様な理由から修道会に入ることを選んだ。権力を追い求める人もいれば、食料を求めて入る人もいた。修道士は当時の基準で比較すると、一般の人々より豊かな食生活を送っていたようだ。
修道会は、金持ちや貴族、有力者だけを歓迎したわけではない。修道士になることは、庶民を含むすべての人に開かれていたのだ。修道院は、修道会に入会を希望するすべての人が質の高い教育を受けられる場所でもあった。
シトー修道会南フロリダ支部によると、祈りと瞑想が修道士の生活のなかで重要な役割を果たしていた。これらは、宗教的使命に邁進するための方法と捉えられていた。
中世の修道士たちは、一日中漫然と祈りを捧げて過ごしていたわけではない。修道院は共同労働の場であり、自給自足に近い生活を送っていた。農作業以外にも、さまざまな仕事をしていたようだ。
修道士の中には、農作業に従事する人や、厨房で働く人などの役割分担があった。多くの修道会で、修道院に住む誰もが何かしらの役割を果たし、互いに助け合って生活していたようだ。
写真:Wiki Commons By Jörg Breu the Elder - The Yorck Project, Public Domain
聖ベネディクト修道会のような宗派は、日々の仕事を修道院の維持のために不可欠なだけでなく、神に近づくための手段として捉えてもいた。現代人の仕事に対する考え方とは、大きく異なっていたのだ。
宗教学者のジョナサン・マレシックは、学術サイト『JSTOR Daily』の記事のなかで、中世の修道士は生活の中心を労働に置いていたわけではなく、悪しき衝動を抑え、忍耐力と信仰心を養うために働いていたと書いている。
マレシックは2015年には、「仕事があらゆる時間や空間、人にまで侵食していく現代社会に抗い、純粋な余暇といったより精神的な目的のためにリソースを割くこと」をベネディクト修道会が教えてくれると書いている。
イギリスのマルバーン博物館によると、ベネディクト会の修道士たちは黙々と働き、沈黙の中で生活していたという。「修道士は穏やかに、かつ短く話すことを求められた」と博物館は記している。
写真:Wiki Commons By Fulda - Manuscript: Wien, Österreichische Nationalbibliothek, Public Domain
ベネディクト修道会をはじめ、多くの修道会では就寝時間が定められていた。冬には午後8時、夏には午後9時までに就寝していたという。
なかなか自分自身と向き合う時間がなく、つい夜更かしもしがちな現代人にとって、この修道会のライフスタイルは良い処方箋となるのではないだろうか。