自ら建国宣言! 風変わりなミクロ国家の数々
『ブリタニカ百科事典』の定義によれば、ミクロ国家とは独立を主張するものの国際的な承認を得られていない、非常に小さな組織のことであるとされる。通常、あまりにもちっぽけなので、近隣諸国の安定を脅かすようなことはない。
たいていのミクロ国家は「国民」が極少数しかおらず、「領土」内で暮らす住民はさらに少ない傾向にある。実際、国民が1人しかいないミクロ国家も少なくないほか、インターネット上の概念としてのみ存在する場合もある。
ミクロ国家を建国する理由は、政治デモの一環から実験芸術、規模の大きなおふざけまで様々だ。
ミクロ国家が全部でいくつあるのかは誰にもわからない。しかし、現在活動中のミクロ国家は70~200あると見積もられている。
ミクロ国家のなかでもとりわけ有名なシーランド公国。英国海軍がサフォーク沖に設置しその後放棄した海上要塞を領土として、パディ・ロイ・ベーツが1967年に建国した。
シーランド公国を打ち立てたロイ・ベーツ公(自称)の当初の計画は、海上要塞を利用して海賊ラジオ放送を行うことだった。裁判所はこの要塞について英国の領海外にあるとの立場をとった。
ロイ・ベーツ公は独自の国旗や憲法を制定、通貨とパスポートの発行もスタートした。2012年にロイ・ベーツ公が死去すると息子のマイケル・ベーツ公が即位、現在に至っている。
ミクロ国家の宝庫、オーストラリア。なかでも有名なのがこのハット・リバー公国だ。
西オーストラリア州に位置するハット・リバー公国は、ミクロ国家としてはかなり広大な75平方キロメートルの領土を誇る。
ハット・リバー公国はレオナード・ケースリー(レオナード1世)が1970年に建国したミクロ国家だ。建国理由は、西オーストラリア州政府が課した小麦の販売量割当に対する不満だった。
ハット・リバー公国に批判的な人々の中には、このミクロ国家はオーストラリア政府に対する納税義務を逃れるための言い訳だったに過ぎないと主張する人もいる。確かなのは、後継者となったグレーム1世が2020年に租税の支払いのため土地を売却、公国は消滅してしまったということだ。
1982年に米フロリダ州で独立を宣言したコンク共和国の場合も、建国理由はハット・リバー公国と似ている。国境警警備隊がフロリダキーズに検問所を設置したことに対し、地元住民が抗議したのだ。
キーウェスト市長デニス・ワードロー率いるコンク共和国の同志たちは米国政府との交渉を有利に進めるため、なんと宣戦布告。1分後に降伏するというパフォーマンスを行った。
以来、コンク共和国はフロリダならではのユーモアの象徴として今も「独立」を保っている。
メリーランド州アナポリスの海岸部にあるイーストポート海洋共和国もまた、抗議活動から生まれたミクロ国家だ。
メリーランド州高速道路管理局がイーストポートとアナポリスをつなぐ橋を一時的に通行止めにしたことを受け、イーストポートの住民たちがアナハイムからの独立を宣言したのだ。
現在、イーストポート海洋共和国は愉快なジョークだと見なされており、毎年、くだんの橋を舞台とした競争や綱引きの大会が開催されている。
ネバダ州デイトン近郊に位置するモロッシア共和国。ケビン・ボー大統領とその一家により、1977年に設立された。
画像:モロッシア共和国公式ウェブサイトより
ボー大統領の正式な肩書は「国家と人民の守護者にしてモロッシア共和国大統領兼上級大佐、ドクター・ケヴィン・ボー閣下」である。
今では、すっかり観光名所となったモロッシア共和国。2010年には著名ユーチューバー、ダグ・ウォーカーの「侵略」を受けている。
画像:Channel Awesome
また、無主地(どの国も主権を主張していない土地)にミクロ国家を建国するという試みも行われている。リベルランド共和国もその1つで、クロアチアとセルビアが主張する国境線の食い違いからドナウ川西岸に生まれた隙間を領土としている。
リベルランド自由共和国は、EU懐疑派のリバタリアンでチェコ人政治家のヴィート・イェドリチカが、政府による介入を最小限に抑えた国家をつくるという理念に基づいて建国したミクロ国家だ。
しかし、クロアチア国境警察は一帯を巡回して、リベルランドの活動家や同地を訪れようとするジャーナリスト、野次馬などを足止めしている。
一方、コペンハーゲンにある軍の元所有地に建国されたクリスチャニアは、1971年にアナーキストたちのコミュニティとして誕生した。
コペンハーゲン市によると、クリスチャニアの住民はおよそ1,000人で、首都の観光名所となっているそうだ。
10世紀以来、主権国家であり続け、ナポレオン戦争後のヨーロッパ再編の際にも正式にはイタリアに編入されなかったと主張するセボルガ公国。イタリア、リグーリア州内に位置し、フランス国境やモナコとも近い距離にある。
地元の花農家ジョルジョ・カルボーネは1963年、バチカン使徒文書館の資料を根拠にセボルガ公国の独立を宣言。ジョルジョ1世として即位したが、敬称は「Your Tremendousness」(「殿下(Your Highness)」のもじり)だった。
ジョルジョ1世の死後、2010年に住民200名による選挙を経てマルチェッロ1世が即位。しかし、マルチェッロ1世は2019年に退位し、後任には元妻のニーナ女公が就任した。