廃墟と化したバフムート:写真で見る激戦地のいま
ウクライナ東部、ドネツク州に位置するバフムート。開戦前は8万人が暮らす長閑な地方都市であり、ロシア国境に近いとはいえ、このような惨状に至るとは誰も予想していなかったはずだ。
バフムートは見どころの多い街ではないが、地元ワイナリー「Artwinery」とソレダル塩鉱山を抱えることで知られていた。無論、どちらも現在は閉鎖を余儀なくされている。
写真:リヴィウに避難してきたバフムートの住民
ソレダルの塩鉱山は地下都市のように入り組んだ構造で知られ、世界最大の地下室もここにあるとされている。
ウェブサイト「Wine Traveler」によれば、Artwineryは伝統的なシャンパン製造法を掲げるワイナリーとして、当時ソ連の指導者だったヨシフ・スターリンが1950年に建設を命じたという。最盛期にはウクライナ産ワインの半分以上がここで製造されていた。
バフムートは、2022年にロシアによるウクライナ侵攻が始まる前から紛争に巻き込まれていた。2014年、ロシアによるクリミア併合を受け、親露派組織がバフムート占拠を試みたが、このときはウクライナ当局によって押し返されている。
バフムートは2016年までアルテーミウシクと呼ばれていた。この名称は地元の共産党指導者アルチョームにちなんで、1924年にそれまでの市名バフムートから変更されたものだ。
再び市名がバフムートに戻されたのは、ユーロマイダン革命以降、旧ソ連の名残から脱却することを目指して始まった脱共産主義化プロセスの一環だった。
「France 24」放送の報道によれば、バフムートはかつて「ワインとバラの街」として知られ、街角には5,000本ものバラが飾られていたという。
写真:バフムートの聖ミコライ教会の内部(2015年)。
しかし、現在バフムートの人口は戦前のおよそ10%。激戦で破壊しつくされた痛ましい光景は、第一次世界大戦におけるヴェルダンの戦いや第二次世界大戦のスターリングラード攻防戦を彷彿させる。
一方、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領はG7広島サミットに出席。バフムートの惨状を原爆で破壊された広島と比較した。
『ニューヨーク・タイムズ』紙は、ゼレンスキー大統領が記者会見で述べた「すべて破壊されてしまった」という言葉を伝えている。
ゼレンスキー大統領いわく:「建物はなくなってしまった。これは悲劇だが、バフムートはもはや我々の心の中にしか存在しない。あの場所にあるのは、大地と無数の戦死したロシア兵だけだ」
バフムートの現状から、以前の暮らしを想像するのは難しい。「France 24」放送が伝えたとおり、まさに「この世の地獄」が広がっているのだ。
『ニューヨーク・タイムズ』紙によれば、バフムートを巡る攻防は今回の戦争の中でもっとも長期化し、もっとも戦死者の多い戦場になったとされる。
ロシア政府がバフムートの「解放を完了」したと主張する一方、ウクライナ政府はいまだ戦闘が続いていると述べている。
しかし、多くの市民が犠牲となり、街全体が破壊されてしまった今、戦闘に勝利したところで何が得られるのかという疑問の声も挙がっている。