抗議デモ参加者に対し、イランが初の死刑判決
イラン国営メディアによると、同国の裁判所は、9月以来イラン各地で広がっている抗議行動に参加した罪で逮捕・勾留されていた被告人に対して死刑判決を下したという。
死刑囚は政府庁舎に放火したとされるが、身元は明らかにされていない。
イランは、死刑の執行件数を公表していない中国を除いて、年間の執行件数が世界一多いとされており、抗議デモ参加者に対する初の死刑宣告は世界中のNGOに衝撃を与えている。
同国の人権団体「イラン・ヒューマン・ライツ」によれば、57日間にわたるデモで子供43名、女性25名を含む326名が命を落としたほか、数千人が逮捕・勾留されているとされる。
また、衛星放送アルジャジーラによれば、イングランド戦に出場したFIFAワールドカップ・イラン代表チームが、同国で広がる抗議デモ運動への支持を表明するため、試合前の国歌を歌わなかったとして注目を浴びているという。
写真:イングランド戦開始前に流れたイラン国歌を歌わず、口を閉ざしたイラン代表選手たち。
イランの道徳警察として知られる「ガシュテ・エルシャド」は、イスラム教の戒律に反する服装の人々を取り締まり、風紀を維持することを任務とする特殊な警察組織だ。
マフサ・アミニが道徳警察の手によって9月13日に逮捕されたのは、ヒジャブの下から髪が覗いていたからだとされている。
しかし、拘置所で倒れたマフサ・アミニは意識不明に陥り、3日後に病院で息を引き取ることとなってしまったのだ。しかも、警官がアミニの頭を警棒で叩いた上、警察車両にぶつけたという証言が何件もなされているという。
一方、道徳警察はこれを全否定。アミニは「急な心不全」で亡くなったと主張した。これに対し、アミニの家族は、彼女が事件前は健康そのものだったと述べ、警察は事実を隠蔽しようとしているとして批判を繰り広げた。
アミニの死に対する抗議デモはイラン各地の都市だけでなく、各国の首都をも巻き込んで大規模な広がりを見せることとなった。
イランと西側諸国の核合意交渉が行き詰まりを見せるなか、フランスのエマニュエル・マクロン大統領はこのデモを革命だとコメント。抗議デモ参加者を弾圧するイラン当局者には、欧州連合(EU)による新たな制裁措置が科されることとなった。
パリで反体制派イラン人たちと面会したマクロン仏大統領は、ラジオ局「France Inter」に対し「前代未聞の事態だ。イラン革命の孫たちが新たな革命を引き起し、革命政府を飲み込もうとしている」とコメント。
イラン国民はマフサ・アミニを死に追いやった道徳警察に抗議しているだけではない。イスラム共和制そのものの打倒を呼び掛けているのだ。
1979年のイラン革命成功は、不幸にも強権的・抑圧的な体制の始まりとなってしまった。
親欧派だった元国王モハンマド・レザー・シャーはイラン革命で失脚。女性のヒジャブ着用義務化といった、イスラム色の強い制度が打ち立てられていった。
人権団体の推定によれば1980年から1985年の間に2万5,000人から4万人に上る市民が逮捕され、1万5,000人が裁判にかけられたとされる。そして、裁判の結果、死刑が執行されたのは8,000人から9,500人だという。
イランの「アブドルラフマン・ボルマンド人権センター」およびアムネスティ・インターナショナルの調査によれば、2022年1月1日から6月30日までの期間におけるイラン国内の死刑執行件数は少なくとも251件に上ったという。