歴史的瞬間ベスト20:写真の裏に隠された秘密
カメラが発明されてからというもの、人類は他愛もない出来事から歴史的大事件まで、さまざまな瞬間を記録に残してきた。今回ご紹介する20世紀の写真も、21世紀を生きる私たちにとってはおどろきの光景に思えるかもしれない。
第一次世界大戦のころのフランス軍の制服は、鮮やかなグレーの軍服と派手な赤いズボンという古めかしいものだった。迷彩服が一般的となった現在からすると、にわかには信じがたい。いずれにせよ、大戦初期のフランス軍の装いを捉えたカラー写真は少ないため、貴重な資料だ。
1941年後半に第二次世界大戦に参戦した米国だが、以前から同国にも独自のナチ党が存在していた。大戦後には極右活動家ジョージ・リンカーン・ロックウェルの登場で再び盛んになり、今でも形を変えながら存続している。
ボストンマラソンに正式参加した初の女性ランナー、キャサリン・スウィッツァー。しかし、主催者のジョック・センプルは女性ランナーの参加を良しとせず、スウィッツァーのゼッケンを外そうと妨害した。
20世紀初頭のファッション事情は現在とはだいぶ異なっていた。服は各家庭で作られることが多く、かなり質素だったのだ。この姉妹の写真を見ればそのことは一目瞭然だろう。
米軍とともに脱出するため、サイゴンの米国大使館に殺到する住民たち。同じような光景は2021年のカブール陥落でも見られた。このときも、米軍の撤退に伴って、数万人のアフガニスタン市民が同国からの脱出を図っている。
イラク軍による侵攻を受けるクウェートを支援するため、1991年に米軍をはじめとする多国籍軍が派遣された。このとき、サダム・フセイン率いるイラク軍が化学兵器を利用することを恐れた多国籍軍は、当時最新の防毒マスクを装備することとなった。
アウシュヴィッツ強制収容所におけるジェノサイドを生き延びた子供たち。ソ連軍による解放後、アレクサンドル・ヴォロンツォフ大尉が撮影。
1945年8月6日、世界初の被爆都市となった広島。焼け跡にはほとんど何も残されていない。
ツタンカーメン王の棺を開ける考古学者のハワード・カーターとエジプト人助手。その後、カーターはリンパ腫で死去、ツタンカーメン王の墓は呪われているという伝説が生まれることとなった。
1974年、始皇帝陵から数千体の兵馬俑が出土、20世紀考古学における一大発見となった。発掘は続けられ、現在までに8000体あまりが発見されている。
1915年に行われたクー・クラックス・クラン(KKK)の叙任式とされる写真。KKKはいまだに存続しており、米国が建国以来抱える人種差別の根深さを物語っている。
20世紀を象徴する出来事となったベルリンの壁崩壊。この写真の男性も1日前に壁を乗り越えようとしていたら、命はなかっただろう。
マンハッタンの空には、100年以上前から雲に届くような摩天楼がすでに立ち並んでいた。
世界がコロナ禍に見舞われる100年以上前、人類はスペイン風邪の流行に直面していた。当時の人々もマスク着用義務にうんざりしていたようだ。
女性参政権が認められるようになったのは、実はかなり最近のことだ。20世紀初頭の米国では勇気ある女性たちが参政権の獲得を求めて立ち上がった。
第二次世界大戦の転換点となったノルマンディー上陸作戦。写真は激戦地となったオマハ・ビーチに向かう連合軍兵士たち。
ポリオワクチンが開発されるまで、「鉄の肺」とよばれる人工呼吸装置はポリオに感染した患者にとって不可欠だった。居心地はともかく、この装置のおかげで患者たちは一命を取り留めることができたのだ。
飛行機が普及するまで、人々は飛行船で空の旅を行っていた。ところが、1937年にツェッペリン社のヒンデンブルク号が爆発事故を起こしたことで、飛行船の時代は幕を閉じることとなった。
アメリカ同時多発テロ事件の発生直後、がれきと化したビルの前で消火活動にあたるニューヨークの消防士。
ソ連軍によるアフガニスタン侵攻の際、現地の抵抗勢力は米国による武器支援を受けて戦っていた。写真は米国製スティンガーを構えるアフガニスタンのムジャヒディン戦士。