香港「民主の女神」周庭、留学先カナダへ事実上の亡命:その軌跡を振り返る
2023年12月、香港の民主活動家として知られる周庭(アグネス・チョウ)が留学先のカナダから「2度と香港に帰らない」と宣言、事実上の亡命を表明した。
「民主の女神」こと周庭は日本語が達者で、かつて香港で民主化運動に身を投じていた際にはSNS上で日本語の発信を行い注目されたこともあった。今回の事実上の亡命に至る経緯をチェックしてみよう。
周庭は1996年12月3日、香港に生まれた。『ガーディアン』紙の記事によると、政治活動とは無縁な家庭に育ったという。
同紙によると、そんな彼女が政治的活動に初めて身を投じたのは15歳の時だった。当時、香港教育局が学校教育に新たなカリキュラム「道徳・国民教育」を導入しようとしていたのだが、このプログラムが中国政府を無批判に礼賛し、民主主義などを否定するものだとして反対運動が巻き起こっていた。
画像:Simon Shek, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons
この新カリキュラム導入に反対する形で2011年に結成された学生運動団体が「学民思潮」だった。学民思潮は非常に大規模な運動を組織することに成功し、「道徳・国民教育」の導入も撤回させることができた。
画像:VOA, Public domain, via Wikimedia Commons
周庭はFacebookの投稿を通じて学民思潮のことを知ったのだという。『PLANETS』で行われたインタビューで当時のことを振り返り、「自分と同じ中学生が学生運動を引き起こせるのは凄い、自分もそういう人間になりたいと感じました」と語っている。
画像:学民思潮の代表たち, Iris Tong, Public domain, via Wikimedia Commons
周庭は国民教育反対運動が一段落したころに学民思潮の広報に就任。学民思潮のリーダーで、のちにさまざまな活動を共にしていくことになる活動家、黄之鋒(こう しほう、ジョシュア・ウォン)と出会ったのもこのころだった。
画像:学民思潮のメンバーらと抗議活動に臨む黄之鋒(中央), Iris Tong, Public domain, via Wikimedia Commons
そして2014年、さらに大規模な民主化デモ「雨傘運動」が巻き起こる。「雨傘運動」のきっかけは、2017年に予定されていた香港の行政長官選挙をめぐる問題だった。当初は一人一票の普通選挙が実施されると言われていたにもかかわらず、立候補資格として指名委員会の過半数の支持が必要だとされ、実質的に民主派の立候補が阻止されそうになったのだ。
かねてから学生運動における存在感を増していた周庭もその運動に学民思潮のスポークスパーソンとして参加。9月26日から始まった座り込みなどの運動は79日間にも及んだが、その結果は芳しいものとは言えなかったうえ、周庭も激しい心労から10月10日に学民思潮の役職を辞任していた。
だが、民主化運動を担う若い運動の芽は着実に育っており、2016年には黄之鋒(こう しほう)や羅冠聡(ら かんそう)らとともに民主派政治団体「香港衆志(英名:Demosisto)」を設立。同年9月の選挙では議席も獲得した。
しかし、当選した羅冠聡は「就任宣誓を誠実に行わなかった」という理由で議員資格を剥奪され、2018年や2019年に周庭を含むメンバーが他の選挙に立候補しようとした際も資格が認められなかった。産経新聞が報じている。
立候補資格が剥奪されたのは「香港衆志」が公約として「民主自決」を掲げていたことが原因とされている。同紙によると、周庭は「民主自決」の意味するところを「香港市民自らが市民投票によって自分たちの未来を決めること」と定義していたという。だが、こういった事態を受けて「香港衆志」は公約から「民主自決」を削除・改訂することを余儀なくされた。
2019年には再び香港で大きな民主化運動が巻き起こった。BBCによると発端は中国本土への容疑者引渡し案への抵抗で、そこから発展して普通選挙の実現などを含む「五大要求」を掲げた大規模なデモとなった。
「香港衆志」もこの運動に参加。周庭は2019年6月に来日、日本記者クラブや明治大学で会見や講演を行い、「逃亡犯条例」改正案の撤回を訴えている。会見で周庭は「私が一番好きな場所は香港です。香港は私の家だから、簡単にあきらめません」と語ったという。日本記者クラブのレポートが伝えている。
だが、2019年8月30日、周庭と黄之鋒が逮捕される。時事通信によると容疑は抗議運動に際してデモ隊による警察本部包囲を扇動した罪とされたが、周庭自身は『WiLL』誌上のインタビューで、翌日に予定されていた大規模デモに参加することへの不安感を醸成するための政治的な逮捕だったという見解を示している。
翌2020年6月30日には香港国家安全維持法(国安法)が成立。同法のもとで民主化運動を続けることは「命に関わる」として周庭や黄之鋒などが相次いで「香港衆志」からの脱退を表明、団体も解散した。東京新聞が報じている。
画像:同法成立直前に抗議活動を行う黄之鋒ら
しかし、団体の解散も虚しく周庭は2020年8月10日に国安法違反容疑で逮捕されてしまう。この件では保釈が認められたが、11月23日には昨年逮捕された件での罪が確定。10ヶ月の禁固刑を言い渡され収監される。
画像:2020年の逮捕後に取材に答える周庭
2021年6月12日に刑期を終えて出所(模範囚だったので刑期は短縮された)。だが、国安法違反による捜査はこの時点でも終結しておらず、このあと2023年12月まで公的な発言は一切なく沈黙を貫くことになる。
周庭は後に、AFP通信の取材に答えてこの期間中のことを語っている。それによると、この時期は他の活動家などと接触することは一切なく、外国の工作員として旅券も剥奪されていたという。だが、2023年7月に警察から提案があり、治安当局者の付き添いのもと中国本土の企業などを視察、謝罪状などを書けばカナダへの留学を認めると言われる。
AFP通信の取材によると、留学を認めるという約束が守られる保証はなかったが、周庭はこの提案に従い、2023年9月からカナダに留学。謝罪状では今後民主化運動に関与しないことや、他の反体制と接触しないことなどを誓わされたという。ただし、いまだ保釈中の身分であることから、3ヶ月に一度の当局への出頭を義務付けていた。
その出頭期限がせまる12月3日、周庭は3年間の沈黙を破ってSNS上で「香港には2度と戻らない」と宣言。事実上カナダに亡命する意向を表明した。12月28日にはその出頭期限となり、香港警察は全力で逮捕を目指すと述べた。
周庭の事実上の亡命を受けて、香港政府トップの李家超行政長官は2024年1月5日に記者会見を開き強く非難、このような「逃亡者」は「自首しない限り一生追跡される」と述べたという。『ブルームバーグ』が報じている。
AFP通信によると、政府側のこのような発信に対して周庭は「中国政府が国家安全維持法(国安法)や香港の法制度を、反体制派を中傷し弾圧するための政治的道具として利用しているにすぎないのは明らかだ」と批判。かつて自分が書かされた謝罪文の類も中国政府によるプロパガンダに利用するためのものだったと強調している。
産経新聞の取材に対して、周庭は今回の決断は「香港の状況や自らの安全、健康などを考慮した。とてもつらい決断だった」と語っている。また、カナダにも中国の秘密警察が存在するという報道もあることから、外国にいても安全は確信できていないとも述べている。